大学の図書館から借りた「
村上春樹全作品1979~1989」に収載されている「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」を読んだ。後者の感想を書こうと思う。
まずこの小説に出てくる双子は、最初はフリッパーのメタファーではないかと思った。単純に外見だけでなく、「ある種の刺激に対する反応の具合も同じなら、食べるもの飲むもの、歌う唄、睡眠時間、生理期間までもが同じだった。」と表現されるくらいの相似性を持っている。さらに、冒頭で、双子をそれぞれどうやって呼ぶかの件で、「僕」をからかうように、「右と左」や「東と西」などという、対称的な名前を提案しているのだが、その名前は正反対の概念を示しているのに、「僕」にとっては、見分けがつかない。ピンボールにおけるパーツでフリッパーはお互いに左右対称で、バラバラにしたら、どっちがどっちだか見分けがつかない。しかし、彼女たちに言わせれば、「全然ちがうじゃない」「まるで別人よ」という始末である。
だから、この物語の「僕」の方の結末はわりと納得がいった。スペースシップとの別れは、双子との別れを暗示していたのだと思ったからだ。しかし、スペースシップは3フリッパーのマシンであるので、双子の他に1つフリッパーが足りない。足りない1つは「僕」なのか「直子」なのか、誰なのかわからない。
また、「僕」と「鼠」の話は直接交わることはないが、ところどころ間接的にお互い通じている、表現がある。8章の「鼠」と22章の「僕」の場面はそれぞれ、墓場を想起させるし、12章での「僕」の同僚の女の子の将来への漠然とした不安と「鼠」の境遇は同じであるといえる。
物語のラストで、「僕」と「鼠」は互いに変化する。この変化とは孤独からの脱出で、二人とも、身近な人と別れるのだが、それは自立するということじゃないかと思う。ただ、ここはなんとなくそう思っただけなので、上手く説明できない。
私は高校生のときに、「海辺のカフカ」を読んでさっぱり意味がわからない小説としか思えなかったので、村上春樹はとっつきにくいように思っていたが、この小説は楽しく読めたので、是非読んだことの無い人は読んでみてほしいです。
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